「店頭はメディアである」といった認識に立った情報発信力のレベルが成否に繋がる

部門の壁

ここ最近、 部門の壁はかなり減ってきたとも言われます。売り場だけを見れば、肉売り場に焼肉のたれを置いてあることは普通になり、刺身売り場に、生姜やわさびを置いてあることも多くなっています。

このうち、実際に部門の壁を取り払って、あちこちに顧客への提案ということで商品を配置している企業はどれくらいあるでしょうか。 いろいろな方にお話を聞くと、一部の企業ではそうした部門を越えた売り場の共有が進んできていることが分かりました。

一方、現在においても、肉売り場にある焼肉のたれは、仕入・売上ともに精肉部門 (または加工肉部門) の業績になるという企業も少なくないでしょう。

食品の間では、部門の壁が取り払われた企業においても、日用雑貨類との壁はなお大きいのではないでしょうか。例えば弁当づくりに便利な2食・3食のフライパンと冷凍食品や、アイディア調理器具と野菜類、電子レンジ用容器と惣菜など、提案可能な組合せが少なくないですが、こうした提案はごく限られているのが実態です。稀に、平台、平冷ケースでの集合陳列などで、かなり腰を据えた提案がされていることもありますが、徐々に、雑貨はそうした展開から外れて行っていませんか。

楽 (ラク) で、安く、楽しく、手軽に、時に腰を据えて科理をしたい、そんな思いを実現するサポートができるお店づくり、企業づくりのためにも、部門の壁の存在を意識して、せめて売規ではその壁を感じさせない領域を確保したいものです。お客さまの家庭には部門なんて関係ないですし、料理は部門では完結しませんから。

食生活のトレンドは、マスメディアによってつくられるのではなく、継続的な店頭発信・そしてニーズによってつくられる

美味しさ、健康、個食、お取り寄せ、おうちご飯、安心・安全、無農薬・減農薬……多くのキーワードが展開されてきて、食を取り巻く環境は、マーケティング合戦の様相となってきてはいないでしょうか。

特に宣伝担当をしている部署では、世の中の流行、メディアでの発信にいかにのっかるか、を気にしておられる方も多いでしょう。しかし、POSのデータを分析してみて、またポイントカードのデータを見ていて、本当にそうした流行が大きな数字をつくるに至っているかというと、そうではない。瞬発力こそあるものの持続力がないと言えます

逆に持続できている流行は、テレビなどのマスメディアとは別に、お店での継続的な売り込みなどが実施できている事によって生まれているのではないでしょうか。

例えば、最近では女子会という言葉が話題になっています。これは、女子会という言葉が宣伝されて増えたのでしょうか。そうではありません。言葉は後から付けられたものです。以前から、独身の働く女性を中心に、女性だけで集まって飲み、食べする場はありました。また、主婦 (専業の方はずいぶん減ってきましたが) の集まりだってあったわけです。そういうニーズはあったにもか かわらず、スーパーマーケットで働く人間からは見えていなかった。

メディアで報道されるようになっ て、やっと見えてきた、とも言えるでしょう。ですが、この女子会は一時的なプームというものではない。だから続くし、対応をしなければならない。女子会で口コミに上るよう、売場も工夫しなければなりません。

一方、ある一瞬 (一定期間) ブレイクする商品というのもあります。経営する有名人が広告塔となってブームになった生キャラメル、今では、最盛期の勢いはありません。もらってうれしいお菓子、ではあり続けているかもしれませんが、今なら、貰うともっとうれしいというモノがあります。プームとトレンドは違う、という例とも言えますね。

一適性のブームに乗ることも時には必要ですが、期待されるお店として、自社が、また売場責任者が、自信を持って勧められる商品・商材を継続して提案し続けることも、お客さまのさらなる期待へのサイクルの中では大事です。

そうしたトレンドの察知、そして 店頭でのトレンドづくりという意味で、次にメディアというものを考えてみたいと思います。

多メディア時代に、消責者が何を選択するか

テレビ、ネット、紙媒体、口コミ、そして店頭での情報。多くの消読者が、そうした情報源から得た情報をもとに、購買活動を行なっています。では、これが店頭だけでものを購買する動機になり得るのか?というとどうでしょうか。

宣伝販売などで店頭だけでも売り上げはつくれる!と考えられる要素もあります。魚など、店頭で旬だと言っても、実は顧客が既にその魚のことをなにかしら知っているという ことが前提になります。

例えば、初めて食べる魚を、POPだけで売り込むことができるでしょうか?それは全く売れないということはないでしょう。しかし、初日に、どれだけ売れると考えられますか? 何日間かかけて、情報を擦り込むがごとく徐々に浸透して売れるということではないでしょうか。
それほど、1メディアだけでの力というのは難しい。魚の場合は、店頭での試食販売などでいくらかは訴求も可能です。これにテレビ、雑誌、口コミの媒体の力があれば、なお広まりやすいと言えます。

一方、試食や試用が難しい商品の場合はどうでしょうか。例えば、殺虫剤。店頭でお試しいただくことは限りなく困雑です。この業界は、大手がTVなどのコマーシャルを流すことで商品の浸透を図っています。また、パッケージにも、なぜ効くか、どう効くかをわかりやすく表示しています。

テレビに限らず、ネット、口コミ、雑誌、ラジオ、店頭POP・陳列、従業員の説明などが少しずつ顧客の購買の引き金をひいていき、ある瞬間にトリガーが引かれることになるのです。その消費者側の心理を考えず、並べておけば売れると未だに考えていないでしょうか?売場こそメディア、買いたくなる心理を突かなければなりません。

 

店頭はメデイアである

今さらの言葉なので、多くの説明が必要とは思いませんが、あえて申し上げたいのは、つくられた売場、商品がメディアであると共に、そこで働く従業員もメディアとしての役割を果たしているということでです。

お客さまは、売場を、商品がただ並んでいる場所として見ているのではありません。 一つひとつの商品については、パッケージをじっくり見ることもありますし、野菜・果実などは、モノを手にとって感触、時には匂いを嗅ぎ、POPの情報・価格などを見て購買します。

一つひとつの商品に、それぞれ思いを持ったつくり手がいます。商品にとっては、使われる瞬間こそ華でしょうが、買ってもらえる瞬間も、同様に晴れ舞台であります。

その晴れ舞台である店頭において、それぞれの商品をどう陳列してもらえるか、どう訴求してもらえるか、また働く従業員がどう顧客とコミュニケーションしてくれるのか、というのはつくり手側のメーカーからすればとても重要な要素です。それはまた顧客側から見ても、ストレスなく買える売り場であり、かつ、いろいろ情報も手に入るという、うれしい売場かどうかの判断の場でもあります。

売り場は、メーカーとお客さまをつなぐ、大切な場であり、主役は商品とお客さまであるはず、なんですね。その場が、低コストを目指すがために、無機質に商品が並び、お客さまから見て手に取りにくい、見づらいことになっていては、結果的に売上が下がらないでしょうか?また、無愛想な店員が、黙々と仕事をしているだけでは、活気もなく、売上も効率も下がることにはならないでしょうか。

私は、売場はやはりメディアであると考えています。商品とお客さまという主役を引き立てさせるために、工夫して陳列し、目立たせ、また従業員自らが説明役となってお客さまに、商品を訴える。それが、お店自体の魅力を増すことになるのだと思います。

次に、その一例として、従業員の笑額について見てみましょう。

売場(職場)に笑顔は必要か?

多くの経営者の方は、売り場に笑顔は無いよりはあった方がよいと考えておられると思います。葬儀場ではあるまいし、クレームを受け付ける係でもない、普通の売り場ならば、実績で接した方がよい、いや、むしろ、不快感のない笑顔が提供されてこそ、と考えられる方もおいででしょう。

インプレッション・トレーナーの重田みゆきさんも、セミナーやテレビなど様々な媒体を通じて、笑顧の効用を説いておられます。 仕事ができないのは困るけれど、仕事はできるけれどいつも不満顔も困るものです。

では、スーパーの売り場に行って、従業員の顔を見てください。発注や品出し、刺身を引く瞬間など、一人ひとりが真剣に仕事をしている瞬間は、社員であろうとパートさんであろうと、仕事人としての真剣な顔があります。 一方、お客さまと接するとき、また従業員同士のコミュニケーションにおいて、笑顔はどの程度ありますか?

売り場に出て、様々なルールが守られているか、法令遵守はどうか、商品が適切に出ているか、ゴミがないか? P0Pが適切か、などなどご覧になることもあるでしょう。一人ひとりが、無駄な動きをせず、動くのではなく働いているのか、などもご覧になっていると思います。
少し、時間をとって、笑顔があるかないか、をご覧になって見ていただきたいと思います。

というのは、笑顔の効用は様々なところで言われるようになっているにも関わらず、少なくとも数年前、もっと前と比較しても、増えているとは感じられないからです。

否、業績好調で忙しいお店 (常態的にそういうお店であり、特別招待会など一時的な瞬間を除きます) では笑顔は多いです。業績のいいお店は笑顔が多い。一方、暇そうなお店ほど、笑顔が少ない。

「笑顔は無料 (コストは不要) だから、どんどん振りまくべし」 という考えがあります。一方、「笑顔をしても売上なんて上がらないから、やるだけ無駄」とか、「買い物は負担なのだから、事務的に対応するのがベスト」という考え方もあります。

どちらも根拠があって言っている内容ですので、否定はするつもりはないのですが、接客という業態であること、チームワークで仕事をする業種であることを考えると、笑顔を否定することまではないでしょう。

過去、日本の教育現場では、公的な観所では笑顔は否定される側面がありました。ニコニコしていても、「ニヤニヤするな」と言われたこともあるでしょう。真剣になれば、笑顔でいられるはずがない、という側面もあるでしょうが、私は、笑顔がある環境下で否定されてきた理由は、別にあると思っています。

というのは、笑顔の裏側で、何を考えているかわからないという側面があるからではないでしょうか。教師が道徳を説く、授業で何かを教えているとき、生徒が笑顔でニコニコしていたら、いったい何を考えているのか不思議ですし、話を聞いていないのではないか?と勘ぐることでしょう。

常に笑顔でいられる相手には、厳しく叱りにくいですし、顔色をうかがうことも難しい。だから、お上の立場や、管理・支配する側の立場からすれば、ずっと笑顔でいられるのはかなわないのですね。

そうした教育の結果なのか、笑麗、ほほえみ、スマイルが苦手な日本人が多いのです。誰も、笑顔のつくり 方を教えてくれなかったから。

一部のスーパーでは、笑顧のつくり方をトレーニングしているところもあるようです。それでも、自然と笑顔が出てくる人は一握り。トレーニングニングしていない企業では、天賦の才能として笑顔を持ち合わせている人しか、素敵な笑顔を見せられていません。

先に挙げた、時間費用は、一つの尺度であります。尺度であります。家の目の前の、笑顔がほとんどないお店と、500m先の笑顔にあふれたお店があったとしましょう。どちらも同じチェーンで、商品品揃えも価格も同じです。

どれだけの人が、どちらを選ぶのか、は即答できるデータも持ち合わせていませんが、筆者の感覚では、どうしてもすぐ必要なモノ以外は、500m離れた笑顔の多いお店に買いに行くような気がします。

同じ買い物をするなら、 笑顔の多いお店で気持よく買い物したいし、そこで働く従業員を応援したい。(さらに言えば、500m離れたお店が売れている理由を、会社の人に気づいてもらって、目の前のお店にも、笑顔で接客してもらえるようになりたい、と感じるでしょう)

買い物は仕事か、楽しみか

主婦、そして、自炊する人にとって、日々の食料の調達は、ある意味では楽しみでもあり、ある意味では仕事(ある種の負荷を感じる作業)であります。その時々によって、楽しみでもあり、負担でもある。これはお客さまの精神状態にもよるでしょうし、忙しさなどにもよります。そして、お店側にも、お客さまの心理を、楽しみ・負担の両端の間で左右させる、ということについての責があります。

どちらかが100%正しいということではなく、その両方が正解になり得る要素であり、これを極端に振ることは、お店側がお客さまを選別していると言っても差し支えないでしょう。

考え方としては、どうせ仕事・負担なのだから、余計な雑情報なんかなしにシンプルに商品を提供するというのもありですし、一方で、負担なのだから、それをできるだけ軽減するような方向へサービスを振ることもできます。

逆に、楽しみである、という場だからといって、毎日のお買い物を、ドン・キホーテでしたいのか?と問われると(慣れれば別でしょうが)、それは辛い。探す楽しみの中にも探しやすさを求めたくなります。

これらは、少なからず人件費や、商品在庫の持ち方、什器・備品などのコストのかけ方とも関係してくることから、できるだけ具体的にどういうところを目指すのかを明確にして、企業としての効率化を目指せる領域であります。少なくとも社内には、その方針をできるだけ明確に示す方がよいでしょう。こうした要素は、現場任せにすべきではないでしょう。
顧客の期待値と時間費用。品切れは悪か? 時間をかけて安いものを買い歩くのか?

ここで、顧客の機会費用についての考え方が徐々に高度化していっていることを、改めて述べたいと思います。

そもそも、時間費用とは何を意味しているのか、というと、文字通り、時間がかかることについての負担、そして負担感を意味しています。

お客さまにとって、欲しい商品が、目指していったお店に存在している こと、というのはきわめて重要です。

そして目当ての商品がなかったときでも、せめて代替があってほしい、と考えます。

わざわざ、お店まで、ある商品を狙って買い物に来て、それがなかったときの残念感は、積み重なると、お店への不信 (あそこへ行っても、ほしいモノがない) につながり、 来店頻度が減ることすらあるでしょう。

その意味では、品切れ、そして代替商品がないこと、は重視しなければならない要素です。

では、価格についてはどうか。近所のお店において298円で売られている商品が、10分の距離のお店では258円で売られている。この40円のために、その時間・距離を動くのか。

実際、10分の距離というのは、10分では済まないのですね(往復20分+売り場周回・レジ待ちをあわせると30分はかかる)。この30分を稼ごうと思ったら、何をやめなければならないか?ということに消費者は気づき始めています。

全てが激安、バスケットプライスが確実に安い、ということでもないと、時間をかけて買い物には行かな い人が増えている。もしくはそのお店での買い物が楽しいか、他にいろいろと見たいのか、など別の理由が関係してくるのです。

一方、特売日などで、どうしても特売商品の数量が足りなくなるということもあります。お店からしたら、特に数量を限定している商品などは仕方ないと考えることと思います。これについては、次の、お客さまから見た、公平さで考えてみます。

顧客に対する公平性とは

先着煩は公平でしょうか。数量限定商品について、朝から売り始めて昼過ぎに売り切れてしまう、ということが、たとえば、物産系催事企画などではあることでしょう。

先着順というのは、スーパー側からすれば、欲しければ並んでくださいという方法で、ある意味公平な手法とも考えておられるかも知れません。確かに、一面を見れば公平なんだと思います。

朝からの先着順を実施している企業では、時にはタイムサービスも実施したりするでしょう。これだって、その瞬間に買い物に来られた方については公平に提供している、とも言えるでしょう。

しかし、これが顧客側から見たらどうなるでしょうか? お客さまのすべてが、スーパーの求める時間軸で生活をしているわけではありません。限定品が、いつ行っても (その方は午前中~昼は来店ができる生活をしていない) 手に入らないと感じている人もいるでしょう。限定品に限らず、限られた時間帯にしか来店されないお客さまは、ある時間帯のタイムサービスや、ある時間帯にある豊富なお刺身の品ぞろえ、ある時間帯に出てくる豊富なつくりたてのお惣菜の存在をご存じないかもしれません。

一人ひとり、違うのだから仕方ない、とも言えるでしょう。

しかしながら、チラシ掲載の特売品については、少し様相が異なるのではないでしょうか?チラシ特売品が、品切れすることが多いお店があります。もちろん、売れることを見越して、ある程度数量を確保するのでしょう。しかしながら、特に目玉商品については、パーゲンハンター対策、荒利ミックス、そして万が一の売れ残り (当日の競合店の価格合わせや対抗価格設定、などによる)などを恐れて、数量は限られた数しか用意していない店舗があるわけです。

その結果、目玉品については、朝のある時間帯に来店いただける一部の顧客だけを、実質的に対象とすることになってしまっています。最近では、夕刻からの第二の開店、という言葉もあるほどで、夕刻立ち上がりの特売なども増えてきたとは言えますが、共働き家庭、家族に要介護者がいる家庭、母子・父子家庭など、本来は社会として支えていかなければならない人々にとって、必ずしも過ごしやすい環境にはなっていない。そして小売店舗がそうしたニーズをくみ取れていないのではないでしょうか。

お客さま側からみた公平感を知り、期待される内容を感じ続けて改善を続けることで、より多くのお客さまに満足いただけるお店がつくれるものと確信しております。

終わりに、改めてお客さまの心理、視点ということについて、一つの例をもって再考したいと思います。

売り場を買い場と称するだけで、お客さまを大事にする気持が入っていないような企業になっていないか。

いくつかの企業で、買い場という言葉は、お客さま側からの立場に立った「売り場」を意味する言葉だと説明しています。それは一面では正しいでしょう。

一方、買わないお客さま、見る、知ることが先にあって、その後納得すれば買うというお客さまにとっては、最初から買うことが前提となっている場という言葉は、ちょっと違和感がないでしょうか。

買い場、というと、買わない人はお客さま候補ですらないとも言えます。その日に買い物をしない人は、その日の客ではない、という見方にもつながります。某家電量販店では、お客さまによっては、小さなお買い物をして、買い物袋を遠慮される方もおられると考えているのか、店舗出入り口では出て行かれる方に対して必ず 「ありがとうございます」 の声を掛けられます。

一方、買い場と言っている店は、その日に何かを買った形跡があるお客さまにしか「ありがとう」の声をかけていないということはないですか。

もっとも、この言葉一つをとって、問題だと言っているわけではありません。それよりは、表現をどうするかより、その考え方が浸透しているかどうか、のほうが重要だと申し上げたいところです。

店頭、そして従業員はメディアです。それぞれが、今日は、買い物はしなかった (例えば、ベーカリー部門を考えてみましょう) 人に対しても、何らかの発信をできる立場にあるのです。店内では買い物はするけれど、ベーカリーを素通りしていくお客さまに対して、会釈も笑顔も「ありがとう」の声も出さない、そんなお店ってありませんか?

一人ひとりの従業員が、家に帰れば消費者になります。本来ならば、消費者としての目線も皆が持っているはず。それが売る側にたった瞬間に忘れ去られてしまう。

改めて、スーパーマーケットで働く一人ひとりが、漠然とお客さまになるのではなくて、様々なお客さまの視点をシミュレートしながら、自らの、そして他店の売り場を眺め、日々の業務に活かしていただきたいと思います。

その気になれば、お店のファンを増やすアイディアは、現場だからこそいくらでも出てくることと信じております。

2020 Value Creator誌 2011.9 (Vol.316掲載記事)